ネット、特にSNSを見ていると
「私こそあなたが必要としている専門家」
という体で発信している人が多い。
もちろん、発信している人もあるテーマについて何年も学んできたのだろう。
そういう意味では、特定のテーマについて一般の人より詳しいのだから「専門家」と言えるのかもしれない。
しかし、専門家であることと、何の知識もなく興味がある一般の人を理解させるのとは話が違う。
専門家は、自分が進んできた道のりを言語化できていない場合が多い。
一般の人が一番知りたいのは、専門家レベルまで理解できるまでに何をしたのかなのだ。
つまり「プロセス」が知りたい。
ここで多くの専門家が見逃しているのは、自分が理解を深めるのに得た「些細なキッカケ」だ。
例えば、仏教の祖であるブッダは、過酷な修行を止めてふと気を休めた瞬間に悟ったと言われている。
本当に理解する瞬間は、そんな「何気ない一瞬」に訪れるものだ。
しかし、専門家は「自分が専門家である」というプライドがあるから、専門家らしいことで示そうとする。
そのプライドこそ邪魔をすることも知らずに。
「知識」や「やり方」に固執して、些細なキッカケをほったらかしにする。
知識とやり方だけを羅列しては、肝心な「キッカケ」が掴めない。
最初は興味を持っていた一般の人は、専門家の作った文章や動画を見るたびに興味を失っていく。
「キッカケ」が掴めないからだ。
かといって、専門家だけを責めることはできない。
キッカケを掴みたい一般の人には
「特別な方法や裏技を知らなければ理解できない」
という思い込みがあるからだ。
何かを知りたい、知識を深めたいと思うとき
「特別なのノウハウが必要だ」
と考えてしまうから、SNSで発信している得体のしれない「自称インフルエンサー」に引っ掛かる。
目に見えない物であればなおさら、ひっかかりやすい。
だから、本当は何が必要かを見極める眼を養うことが重要だ。
ノウハウに頼るのではなく、そこにある本質を見極めて日々活かしていくことを考えよう。